全固体電池の生産はどうなる?
日産自動車は、3年前の2022年4月に、全固体電池の試作生産を行う設備を神奈川県の追浜(横須賀市夏島)にある総合研究所内に設置すると発表し、公開した。ところが、今夏、日産は追浜にある生産工場を2年後の2027年に閉鎖するとした。日産は、全固体電池を搭載した電気自動車(EV)を28年に市場投入する計画であり、その行方はどうなるのか。
しかし、あまり心配する必要はなさそうだ。
ひとつは、追浜で閉鎖するのは生産工場であり、総合研究所とテストコースであるグランドライブは残される。なおかつ、新車の組み立てを行う生産工場は閉鎖するが、その土地を手放すかどうかは、さまざまな噂が出ているものの、今のところ未定だ。
次に、全固体電池の試作は総合研究所だが、量産へ向けた製造は、神奈川県内の神奈川区室町にある横浜工場で行われ、そのパイロット生産を行うラインは2024年に公開している。
試作は、できるかできないかの模索と判定であり、量産は、数多く適切な原価で安定して製造できるかという別の技術開発が必要で、総合研究所の手を離れ横浜工場へ移管されるのは、ある意味で当然の道筋だ。ここで具体的な生産技術が構築されていく。
したがって、2028年を目途とした全固体電池の市場投入へ向け、追浜の生産工場閉鎖は無関係ということになる。
横浜工場は、これまで親しみの薄い生産拠点であるかもしれない。しかしながらここは、は1933年(昭和8年)に設立しており、ここで、ダットサン14型と呼ばれる日本初の乗用車生産が行われた歴史ある場所だ。
その後、1965年に座間工場が完成したことにより、横浜工場はサスペンションなど集合体としての部品生産を専門に行うようになった。ほかに、アルミ鋳造などの技術を磨いていく。さらには、R35GT‐Rのエンジン生産や、可変圧縮比エンジンの生産も行うようになった。そして、リーフ、ノート、セレナなどのモーター生産も行っており、電動化の拠点ともいえる存在だ。
そこに、全固体電池の生産が組み込まれていくことになる。
補足として横浜工場には、日産の歴史やエンジン、電動化に関する展示施設があり、これらは見学が可能だ。横浜工場は、日産自動車の伝統と、中核となる技術が集積した工場と見ることができ、全固体電池の完成と、市場投入が待たれるところである。