第1回 EVが生み出す自動車の変化
EVは「代替自動車」ではない!
電気自動車(EV)は、エンジン車やハイブリッド車(HV)などの代替ではない。ここからすべてははじまる。
しかし一般的には、脱二酸化炭素のための代替案との認識が広まっている。それが、あらゆる歪みを生じさせている。
たしかにEVは、エンジンがモーターに代わり、燃料タンクがバッテリーに代わり、使う燃料がガソリンや軽油に代わって電気になるという表面上から、エンジン車やHVの代替と考えられがちだ。
だが注目すべきは、使う燃料(エネルギー)が異なることにより、走行性能や運転の仕方、あるいは燃料補給(EVでは充電)の考え方まで違ってくることであり、そこをよく理解する必要がある。
電気に支えられた生活の中で
電気はいまや、暮らしのあらゆる面で不可欠なものとなっている。スマートフォンはもちろん、電子レンジや冷蔵庫、テレビ、空調に加え、調理でもIH(インダクションヒーティング=電磁誘導加熱)のヒーターで料理をすることができる。トイレのウォシュレットも、もはや欠かせないものではないか。もし、ここで停電が起きたら、スマートフォンの充電ができなくなり、情報から孤立してしまう。冷凍食品は台無しになり、電子レンジでのわずか数分の調理も不可能だ。冷暖房にも不自由し、暑さ寒さに耐えなければならない。通常の暮らしが成り立たなくなるのだ。
クルマでの移動については、エンジン車のほうが停電に関係ないと思うかもしれない。だが、信号が消え、交通が混乱し、ガソリンスタンドへの燃料搬送が滞れば、結果的に不自由する。いっぽうでEVであれば、車載のバッテリーから電力を自宅へ供給することで、一時的な停電に対処できる。かえってEVに乗ることが、暮らしの安全保障につながるのである。
そうしたことからも、EVに乗ることは、暮らしを守る電力について真剣に考える機会を与え、電気の質にもこだわる意識が芽生えるようにもなる。
20世紀初頭、まだ明かりはランプに頼り、調理は竈で行っていた。薪を燃やし、石炭ストーブで暖まり、火を使うことが暮らしを支えていた。その延長として、石油を燃やして使うエンジン車が栄えた。エンジン車誕生の前にEVがすでにあったと伝えられるが、EVよりエンジン車が広まった背景にあるのは、灯油を使うランプが電灯に代わり、石油の使い道がなくなったことに困った石油事業者が、エンジン車の燃料としてガソリンを売る事業を展開したからだ。20世紀が石油の時代といわれるゆえんがそこにある。
しかし21世紀は電気の時代であり、クルマがEVであることは必然なのだ。
時代の転換点に立つ自動車
そのうえでEVとエンジン車の違いは何かといえば、EVは振動も騒音もなく、排出ガスも出ず、動力特性はフラットトルクで、変速機を必要とせず、車体寸法の大小を問わず上質な乗り味を手に入れられるところにある。
逆にいえば、エンジンは不都合の塊といえる。振動と騒音があり、煩くて不快だ。有害物質や二酸化炭素を含む排出ガスを出し、環境を汚染する。出力特性が山なりなので変速機が必要で、加速に段差がある。高級であるためには車体が大きくなることで偉さを示すしかない。カール・ベンツがガソリンエンジン自動車を発明した当時、それまでの馬や馬車での移動に比べエンジン騒音が大きかったため、人々に眉をひそめられ、対応策として消音装置(マフラー)が付けられた。それでもエンジン車が普及することで、大気汚染や気候変動が起こり、健康被害に悩まされたり異常気象の被害に遭う人が生まれる。低回転での出力が足りず、変速機というギア比で力を補わなければならない。大馬力でのゆとりや、ゆったりした乗り心地の高級さを求めるなら、車体を大きくしなければならない。
そうしたエンジンの不都合を克服しようと改善してきたのが、1886年にガソリンエンジン車が生まれて以来の歴史である。
しかし、EVであれば、モーター駆動により振動もなく静かである。逆に、静かすぎるということで、低速では通過音をあえて出すほどだ。排出ガスが出ないので、大気汚染も気候変動も起こさない。モーターは、低速から大きな回転力(トルク)を出す原動機なので、高速まで滑らかに加速して心地よい。駆動用バッテリーを車載することで車両重量は増えるが、その効果として微振動が抑えられ、上質な乗り心地になる。静粛性と合わせて、軽自動車の日産サクラや三菱eKクロスEVでさえ、登録車のハイブリッド車より快適だ。つまり、小さな高級車という価値が生まれるのである。
充電や整備、あるいは自動運転へ向けた適合性などについては、いずれまた話すときがあるだろう。いずれにしても、世界人口が80億人に達したいま、ガソリンエンジン車が発明された19世紀末に比べ世界人口は5倍も増えた。そして排出ガスを出すエンジン車が世界に13億台もあれば、地球環境が大きな負荷を受けるのは当然だ。
だからエンジン車からEVにするというだけでなく、そもそも電気の世紀を快適に暮らすうえではEVこそがふさわしい。そうした時代の転換点に、我々はいるのである。