EVの加速は危険=規制の考えは浅はかすぎる
昨年の暮れ、新エネルギー車(NEV)の普及が進む中国で、電気自動車(EV)の加速性能を規制する動きがあるとの報道があった。また、ペダル踏み間違えの事故もあり、その警告機能の義務付けもされるとの内容だった。
記事の真偽が不確かな状況ではあるが、EVが普及する段階では、EVの特性をよく理解した開発や、利用の仕方を周知する必要はあるだろう。

モーターは、電気が流れた瞬間に最大トルク(回転力)を出せる特徴がある。トルク特性をグラフで示した図を見れば一目瞭然だ。回転しはじめたところから最大トルクを発生し、それを回転が上がるにしたがって維持し、やがて下がりはじめる。
これに対しエンジンは、ガソリンかディーゼルかで多少の違いはあっても、回転数の上昇とともに山なりの曲線を描いてトルク値が変化する。発進でアクセルペダルを全開にしたとしても、一般の乗用車であれば制御を失うほどの加速はしない。

そもそも山なりのトルク特性であり、発進時に力不足となるため、変速機が必要になる。1速ではギヤ比を大きくし、エンジンの力を拡大している。
EVで変速機が不要な理由は、回転しはじめたところから最大トルクを出せるからで、1速ギヤのようなギヤ比の大きい減速を必要としないためだ。
このモーター特性により、一般的な乗用車であっても、スポーツカーと同等か、あるいは上まわるほどの加速を実現することがEVでは可能になる。たとえば米国のテスラ・モデルSが、ドイツのポルシェ911ターボより加速がよいといった諸元値をもてるのは、EVなるが故である。

そこで、EVでは慎重なアクセル操作が求められるわけだが、通常は、一気に大きなトルクを発生しないよう、自動車メーカーが制御を施している。危険ということはあまりないはずだ。
中国で問題になったのは、自動車開発や製造で歴史の浅い企業が、スポーツカーを上まわる加速を乗用車で実現できるといった短絡的な発想の商品性を売り物にしようとしたためではないだろうか。
それであるなら、企業の質を疑うべきで、それでも、過渡期には規制といった手段が必要になるときがあるかもしれない。

しかしEVの本質を活かそうとするなら、わずかなアクセル操作でも滑らかに、操作量どおりに走り出し、そして素早く交通の流れに乗れる商品性を売りにすべきだろう。それが、多くの人にEVでの快適な移動をもたらすことになる。
次に、猛烈な加速によるペダル踏み間違え事故についていえば、ペダル踏み間違えを減らす、ワンペダル操作を率先して活用し、回生を活かした加減速や速度調整を可能にすることがEVの利用にかなっている。そしてブレーキペダルを踏まずに止まれる制御を採り入れることにより、そもそもペダル踏み間違えを起こす機会を減らすことにもなるだろう。
日産自動車は、ワンペダルの運転操作を採り入れることで、ペダル踏み替えを約70%減らせるとした。さらに熟練すれば、90%減らすこともできるだろうという。

しかし、アクセルペダルを全閉にすることで停車する制御については、クルマを停止させる操作として、ブレーキペダルを踏むことが重要だとの見解がある。
もし、それであるなら、なぜ、クリープが許されるのか。トルクコンバーター式の自動変速機の場合、機構的な特性から、ブレーキペダルから足を離し、まだアクセルペダルを踏んでいないにもかかわらずクルマは動き出す。発進するという、アクセル操作の合図がないうちにクルマが走り出すことが許され、ブレーキペダルを踏まなくても、アクセルペダルを戻すことで停車するのが許されないというなら、それは、二重基準だ。ワンペダル操作で停止できることを規制する理由にはならない。

EVは、モーター駆動となることで、エンジン車やパラレル式ハイブリッド車と違う価値をもつ。それを最大に活かすことにより、安全かつ快適に利用できるクルマを目指すことが肝心だ。EVなのに、エンジン車時代の使い勝手でなければならないとするなら、それは本末転倒だ。本質を見極めず、技術や時代の進化にも逆行することになる。
もちろん、本筋から離れた用途や商品性を目指すことは諫めなければならない。
企業や利用者に求められるのは、本質を見極める姿勢だ。それが実行されれば、重宝され、快適な使い勝手が最大に得られるのである。
















































