EVメーカーの競争が激化
中国のEVといえば、BYDを筆頭として日本ではあまり馴染みのないさまざまなEVブランドが混在している。だが、そうした新興EVメーカーの栄枯盛衰はあまりにも早い。少し前まで人気を誇っていたはずなのに、いつの間にかブランド自体が消滅したり、またメーカーそのものが経営破綻するケースもある。
背景にあるのは、過剰な競争環境だ。
時計の針を少し戻すと、中国でのEV市場が産声を上げたのは、いまから15年ほど前だ。2000年代後半から2010年代にかけて、中国政府はEV事業の推進を国家戦略として打ち出した。
最初は、3つの国際行事をターゲットとした。2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博、そして同年に広州で開催されたアジア競技大会だ。
これら3大行事では、都市部でのEVバスやEVタクシー、さらに会場内での小型EVなどを導入。中国の自動車産業が新世代に移行するという印象を、中国の国内外に向けて強く発信した。
これを土台として、続く2011〜2015年に国家戦略「第12次5ヵ年計画」の中核に、EVの開発と普及を掲げた。
その実現に向けては、海外メーカーとの合弁企業におけるEV共同開発を中国政府として後押ししたり、そこで集積した技術を国家機関のなかで分析・解析した。そのほか、中国の国家自動車研究所である中国自動車技術研究センター(CATARC)などが、グローバルEV市場の状況を把握しながら、独自にEV研究開発を進めた。
そうしたなかから、乗用車向けのEVベンチャーになるような技術の芽が育ち始めた。また、中国におけるEV市場の将来性を見込んで、欧米メーカーのEV研究開発者らが中国系の投資家などから資金を調達して、EVベンチャーを設立する動きも加速した。
こうして中国におけるEVベンチャーが活躍するステージが整い始めたころ、欧州を起点とするESG投資に起因するEVシフトの大波がグローバルで一気に広がった。
ESG投資とは、従来のような財務情報だけではなく、環境(エンバイロメント)、社会性(ソーシャル)、そしてガバナンスを考慮した投資のことだ。
このESG投資バブルが中国EV市場にも大きな影響を与えたのが、2010年代後半から2020年初頭にかけてだ。
だが、ESG投資バブルが弾けるのと時を同じくして、中国の国内経済が低調となり、結果的に中国のEVベンチャーの淘汰が進んだといえよう。
中国EVベンチャー乱立時代は終止符を打ち、真の技術力と経営能力、さらに政治力をもつブランドのみが生き延びている。