EV時代のスポーツカーは新たな価値を創り出せるかにかかっている
また、後席フロアはバッテリー搭載の影響でやや高く、着座すると膝がややもち上がる形になる。美しいルーフラインの代償としてヘッドクリアランスも限定的であり、快適性よりもデザインと走行性能を重視したパッケージングとなっている。
S6スポーツバックe-tronは、電動化されてもなおアウディの代名詞である「クワトロ」技術を核に据えている。発進時には後輪側から駆動を立ち上げ、車体を押し出すようにトラクションを発生させ、減速時は後輪から回生ブレーキを開始することでピッチングを抑制。姿勢変化を最小限に制御しているが、これは前後独立モーター駆動だからこそ可能となる技だ。センターデフ方式だったクワトロや、カップリング化された最新のモデルでは実現不可能な制御なのだ。
旋回時には前後のトルク配分を連続的に最適化。ステアリング操作に対して遅れのない応答を実現している。これにより、コーナリング中の安定感は極めて高く、低ミュー路でも高い操縦性を確保しているのだろう。アウディが長年にわたり培ってきた四輪駆動のノウハウがBEVにすることで理想に近づけた好例である。
S6スポーツバックe-tronの動力性能は、もはやスーパースポーツの領域にある。だが、電動車における「速さ」の価値は、内燃機関時代と同一には語れない。エンジンの回転上昇による音の高揚感や、トルクの波を感じながらアクセルとシフトを操る楽しみは存在しない。
すべてが滑らかで静粛に制御されるBEVでは、走りの「情緒的要素」が失われやすい。その結果、性能の高さがそのまま感動に直結しにくいという新たな課題が浮かび上がっているといえる。
アウディはこのS6スポーツバックe-tronを通じて、電動でもスポーツの本質を再定義しようとしているが、それは容易ではないことが見えてきている。いくらゼロ発進加速や最高速を高めても、国内でそれを引き出せる場所はサーキットしかなく、BEVでサーキットを走る意義はほとんどない。今後は数値的な速さを超えた「操る歓び」の創出が、BEVをラインアップするすべてのメーカーにとって重要なテーマとなるだろう。
S6スポーツバックe-tronは、アウディが電動化の時代においても「走りの理想」を追求した姿勢を明確に示す一台である。優れた空力性能、圧倒的な動力性能、そして精緻なクワトロ制御。技術的完成度は極めて高い。一方で、電動化によって失われた、クルマとしての官能性をどう再構築するかが、今後の課題として残る。
BEVの進化は速さや航続距離だけでなく、ドライバーの感性に訴える新たな価値を創り出せるかどうかだといっても過言ではない。S6スポーツバックe-tronは、その問いに挑むためのフラッグシップでもあるのだ。