100年経ってもEVの普及は前途多難
EV本格普及の道筋が見えてこない。背景は極めて複雑だ。
たとえば、2010年代中盤から2020年代前半にかけて発生したグローバルでの環境関連投資のバブル崩壊、ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー安全保障問題の露呈、第2次トランプ政権による環境関連政策の大幅な見直し、さらにアメリカとイスラエルによるイラン攻撃より始まった中東情勢などさまざまある。こうした大国間での政治的な変動が、EVの将来に影響を及ぼしている状況だ。
そんなEVだが、その歴史はかなり長い。
時計の針を戻すと、1900年代初頭にはニューヨークのマンハッタンではEVタクシーが走行し、充電スタンドも設置されていた。自動車の黎明期であった当時、ガソリンエンジンの開発よりも、すでに実用化されていた工業用モーターなどを使うほうがクルマの量産化には早道だったのかもしれない。また、当時のガソリンはかなり粗悪な成分構成だったとも考えられる。ただし、EVタクシーは満充電での航続距離はかなり短かったであろうから、マンハッタンという限定的なエリアで運用されたのではないだろうか。

その後、フォードT型の登場などにより、アメリカで乗用車の大量生産が始まると、ガソリン車の技術開発スピードが一気に早まった。また、量産効果によってベースモデルの価格は安定し、さらにモデルの多様化が進む好循環を生んだ。
一方、EVは研究目的では存在したものの、実用化の流れは生まれなかった。そうしたなか、EV普及の兆しが見えたことも何度かあった。
たとえば、1970年代初頭は「未来の都市交通」というイメージで万国博覧会など国際的な行事で注目を集めた。同じころ、オイルショックやアメリカのマスキー法などの影響で、排ガス規制に有利な小排気量エンジン開発が始まり、EVについても可能性を探るメーカーがでてきた。

しかし、当時の鉛バッテリーのエネルギー密度は低く、また重量も重かった。さらに、電気バスの運用に関する記録では、車内に鉛バッテリー特有の臭いが充満して乗客に不評だったとも記されている。
そうしたなか、アメリカ・カリフォルニア州がZEV(ゼロエミッションビークル)規制法を制定したことで、1990年代初頭は日米独の自動車メーカーが試験的にEVの少量生産を始めたものの、ZEV法の方針転換などによりEV需要は腰折れ状態となってしまう。
こうして、自動車メーカーによるEV大量生産は2000年代末から2010年にかけての三菱「i-MiEV」と日産「リーフ」の登場を待つことになる。1900年代前半のニューヨークEVタクシーからじつに100年が経過していた。

背景には、車載用リチウムイオン電池の量産化の目処がついたことと、当時トヨタが先行したハイブリッド車に対する三菱と日産の対抗意識が大きく影響した。














































